もう一つの戦場のメリークリスマス ~スターリングラードの聖母~

こんばんは。
皆さんには、見て切なくなったり、心に染み渡るような絵がありますか?
ボクにはあります。それが『スターリングラードの聖母』(別名:塹壕の聖母)です。
今からちょうど68年前の今日、1942年12月24日にドイツ軍・軍医クルト・ロイバー によって描かれました。
この絵を紹介する前に当時の時代背景を記します。少し長くなります…


第二次世界大戦真っ只中のヨーロッパ ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはソビエトとの開戦を決意。
1941年6月バルバロッサ電撃作戦を発動。東部戦線で次々に勝利を収めます。目指すは首都モスクワ。
しかし、秋の長雨と予定より早い冬将軍の到来でモスクワにあと数十kmまで迫りますが撤退。最終的に失敗に終わります。

翌1942年ドイツは何とか戦線を建て直し東部戦線の南方軍が再び攻勢に出ます。ブラウ作戦発動です。
ウクライナ・コーカサス地方を経てカスピ海の油田地帯を抑える事が出来れば
ドイツ軍の抱えるエネルギー不足問題を解決し、さらにはソ連軍の補給を断つ事が出来ます。
その際の2次的な攻撃目標にスターリングラードが選ばれました。
ここはカスピ海の油田地帯とモスクワの後方で疎開させた戦略工場が点在するウラル地方を結ぶヴォルガ川の中継地点です。
ソ連軍も最高指導者ヨシフ・スターリンの名を冠したこの重要都市を簡単に手放す事は出来ません。
その結果、史上最大規模の市街戦へと突入する事となったのでした。

*ボクはこの戦争の善悪を述べるものではありません。ドイツ軍・ソ連軍、立場が違えば正義が違うのです。
 何より一介の兵にとっては命令が下ればどの戦地にも赴かなくてはなりません。
 目前の戦闘に勝利する事が祖国と家族を守ると信じて。またわずかにある可能性として自身も生き延びる事を祈って。

1942年8月パウルス大将率いるドイツ精鋭第6軍と枢軸軍30万はスターリングラードを包囲・攻撃。
守備に当ったソ連第62軍と激しい戦闘を繰り広げます。
絨毯爆撃により数日で市民数万人が犠牲に。瞬く間に市街地は廃墟と化します。
しかし、数日で占領出来ると思っていたドイツ軍にとってその瓦礫の廃墟が思わぬ障害になったのでした。
無数の遮蔽物が格好の隠れ場となり近距離で狙撃合戦が繰り広げられ、大規模な部隊展開が困難になりました。
その結果一進一退の攻防戦が行なわれるようになり、戦線が膠着状態となりました。

その頃ソ連軍はひそかに反転攻勢の準備を整えつつありました。
シベリア方面から新鋭を呼び寄せ、さらに新たに編成した部隊はおよぞ100万!
これらの軍団が第6軍を逆包囲すべくスタリングラードに迫っていました。

11月11日 日ごとに強まる寒さの中ドイツ軍の最後の攻勢が行なわれましたが市街地全てを掌握するに至らず。
11月23日 ソ連軍はドイツ軍背後に展開、ついに第6軍は全面逆包囲されます。
第6軍を救出すべく、マンシュタイン元帥率いるドン軍集団が急遽編成され包囲網に穴を空けるべくソ連軍に迫ります。
冬の嵐作戦発動です。ドン軍集団は急進し第6軍陣地に後数十キロまで迫ります。
マンシュタイン元帥は考えます
この攻勢に第6軍が呼応してこちら側に脱出すれば救い出せる。これしか方法は無い!時は今しかない!!』
しかし、ヒトラー総統はあろうことか第6軍の撤退要求を即座に却下、スターリングラードの死守を命じます。
12月23日 再び迫るソ連軍にドン軍集団は押し返され撤退を余儀なくされます。作戦は失敗。
こうして第6軍を救出する手段は永遠に失われてしまったのでした…

12月24日 零下35℃の極寒の中、迫り来るソ連軍。
弾薬も食料も無く精神的にも極限状態でクリスマスをを迎えました。
第16装甲師団の軍医クルト・ロイバー中尉はこの様な中、少しでも兵士を元気付けようとクリスマスの絵を描くことにしました。
ソ連軍から押収した地図の裏に木炭で赤子を抱いた聖母像を描き、
そしてその周りに『ヨハネの福音書』の言葉「licht(光)leben(命)liebe(愛)」を添えたのでした。

お待たせしました。では『スターリングラードの聖母』ご覧下さい。
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1942大釜(ドイツ軍用語の陣地の事)のクリスマス スターリングラード要塞にて

砲撃にゆれる地下壕の壁に掲げられた絵を見て兵士達は何を思ったのでしょうか?
絶望的な状況の中きっと『救われたい…』という気持ちいっぱいだったでしょう。
ある将校はこう言ったそうです。「今日は私の生涯の中で一番美しいクリスマスになった。私はこのクリスマスを忘れることはないだろう…」

僕自身は初めてこの絵を見た時、この様な極限の中で『なんと穏やかな絵を描いたのだろう…』と驚きました。
無垢な赤子を慈悲深く抱き上げる聖母。優しい眼差し…
絶望的な戦闘のさなかロイバーは“常人としての人間性”を全く失ってなかったのです。
思いを搾り出す様に描かれたこの絵に心を奪われました。

そしてこの絵がボクにとって特別なのはこの赤子が我が息子『ユウキ』に思えてならないからです。
月に一度しか逢えない息子は近くて遠い存在なのです。
しかし、逢えなくてもユウキの事を思わない日はただの一日たりともありません。
そばに居れなくてもどうか怪我無く、事故無く、事件無く、病気無く、いつも健やかに元気で笑顔で暮らしていて欲しい。
そう、この聖母に守られた赤子の様に…


開けて1943年2月2日第6軍ついに降伏。ここにスターリングラード攻防戦は終結しました。
捕虜となった約10万人の将兵にはさらに過酷な運命が待っていました。

零下50℃の極寒の中、収容所までの徒歩での移動。歩けない者は凍死かソ連兵がその場で射殺。
さらに収容所では疫病で僅か数週間で5万人が死亡したと言われています。

この絵を描き上げたロイバーも翌1944年1月20日に亡くなりました。37歳でした…。今のボクと同じ位でした。
最終的に生きて再びドイツに戻れた将兵は結局6000人足らずと言われています。
その中の“絵に励まされた兵士”によってロイバーの妻と息子の元へこの絵が渡されました。

今ではこの絵はベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会の片隅にひっそりと展示されています。
もしベルリンに立ち寄る事があったら是非行ってみたいと思います。

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この教会は1943年11月のベルリン空襲の戦禍に会いました。
最低限の補修のみ施され忌まわしい戦争の記憶を今に伝えています。

スターリングラード攻防戦でなくなった方

ドイツ・枢軸国軍 約30万人
ソ連軍       約50万人
ソ連市民     約20万人


…どうか亡くなられた方の魂が安らかである事をお祈り申し上げます。
そして二度とこの様な悲劇が起こらない様に…

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sting ♪ gabriel's message

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by koichi-loves-yuki | 2010-12-24 23:23 | 歴史


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